政策レポート vol.1

144戦、132勝12敗ー。
参謀役を務めた選挙での勝率は実に91%を誇る。20代の頃から魑魅魍魎が渦巻く政界に身を置き、いつしか「選挙の神様」と呼ばれるようになった藤川晋之助。
この国の未来を憂い、後進の政治家を育成するために立ち上げた「藤川選挙戦略研究所」は、設立からはや1年がたった、これまで当たり前のようにあった戦後日本の価値観がゆらぎ、混迷を極める時代に求められる政治家とは。記念すべき政策レポート第1号は藤川が考える現代政治についての一考察をぜひお読みいただきたい。


1953年大阪生まれ、23歳から代議士秘書、大阪市会議員、政策秘書、政治アナリスト、選挙プランナー、政党事務局長などを歴任。
議員や首長の政策立案、主として田中派、小沢派、第3極での選挙参謀役は144回を数える(144戦132勝12敗)。政官、マスコミに幅広い人脈を持ち、高い勝率で「選挙の神様」とも呼ばれて名高い。現在は一般社団法人藤川選挙戦略研究所を設立し、政界再編成、人材育成に力を注いでいる。


まずは研究所設立に至った経緯を説明したい。そのためには、日本の近代政治を振り返る必要がある。
日本では、1993年から総選挙で自民党が衆議院議員で過半数を割り、非自民8党派の連立政権が成立する55年体制が続いてきた。大正末期から昭和初期にかけても、立憲政友会という保守政党と立憲民政党というリベラル政党が存在し、帝国議会を二分していた。つまり、日本では100年近く二大政党制が続いてきたことになる。
その間、「是々非々」を掲げる政党がいくつも生まれた。60年安保闘争ではsy回答の運動方針を巡って、右派の西尾末広らが「欧州にあるような現実政党を作らなければ」と民社党を作ったのが象徴的な例だ。民社党ができたおかげで日本の防衛路線が定まった。第2次安倍政権では集団的自衛権を巡って、自民党が保守系無所属の少数会派の賛同を得た上で関連法の成立にこぎつけた。
ある意味で、そうした中間政党が日本の政治の節目で重要な役割を担ってきたと言える。
しかし、こうした現実政党は必ず滅んできたのも事実だ。権力側につくか、それとも野党路線で行くか、どちらかでなければ生き残れなかったということを歴史が証明している。現在、党内で与党と強調するか、対決するかで意見が分かれている国民民主党もまさにそう。分裂しては消えていく。それが中間政党の運命だった。


ところが、そうした中間政党のジンクスを乗り越えるかもしれないのが日本維新の会だ。維新派大阪で府知事、多くの市町村長を押さえ、与党として統治の仕方を学びながら、全国では野党という特殊なスタンスをとることによって、10年以上、政界で生き延びてきた。55年体制崩壊後、大きく変わらなかった日本の歴史をひょっとしたら変えてくれるかもしれない。いや、かえてほしい。そんな気持ちが私の中で芽生えた。
日本の歴史はおおむね20年周期で動いてきた。2012年に自民党が民主党から政権を奪取してから今年で11年。あと5、6年の内に次の20年に向けた大きな変動期を迎えるかもしれない。55年体制の崩壊、民主党による政権交代を間近で見て、「なかなか政治は変わらない」と身をもって肌で感じ、老兵は消え去るのみとも思ったが、「このまま引退するわけにはいかない」と思うようになった。それが藤川選挙戦略研究所を立ち上げる理由の一つだった。


ここからは岸田政権の補油化を考えたい。岸田政権が誕生して間もなく2年。
初めはデジタル田園都市国家構想や令和版所得倍増計画など政策に関する話題も多かったし、外交面でも他国の首脳をまとめるなど、私としても一定の評価をしていた。ところが最近はめっきり政策の話を書かなくなった。新しい資本主義はどこが新しいのかわからないし、異次元の少子化対策のどこが異次元なのかわからない。岸田氏の口ぶりリハすとんと胸に入ってこない。岸田氏が何を目指して日本を引っ張っていこうとしているのかが見えてこない。


考えてみれば、リベラルと言われた岸田氏がやったことは実は、防衛費増額や原発の再稼働など保守的な政策が多い。
これを安倍政権がやろうとしたら、相当批判があったかもしれないが、岸田氏がやると、大きな批判もなく、パパっと進んでしまう。裏では安倍氏が保守層をしっかり纏めていた。岸田氏が多少左へ寄っても安倍氏がいることでぐっと引き締まった。そういう意味では、安倍氏が凶弾に倒れたことは日本の政治にとって、ものすごく大きな影響を与えたのだと今更ながらに思う。


2023年9月の内閣改造を見ても2期目の総裁選に向けて、派閥をまとめるための戦略という内向き志向が前へ出すぎてしまっている。閣僚に女性5人を登用したが、夢を感じるようなわくわく感はない。支持率も案の定、上がらなかった。そこが岸田氏の限界であり、らしさを表している。そう思うと、日本の将来を思えば、やはり岸田内閣では絶対だめだろうなと思わざるを得ない。


かといって、自民党にもなかなか総理の器を持った人はいない。河野太郎氏は軽薄なところがあるし、役人から嫌われている。手軽さと言えば、加藤勝信氏だろうか。安倍派で言えば萩生田光一氏、岸田派で言えば林芳正市か菅義偉元総理が今、何を考えているのか。菅氏は今、石破茂氏とすごく仲がいいようだ。
二階俊博氏、菅氏で石橋を担ぎ始めたら、波紋を呼ぶだろう。仮に総理になれなかったとしても、維新と合体するという選択肢も出てくるのではないか。逆に維新派、まだまだ総理の器の政治家はいないという感じがする。


維新が見据えているのは、次の衆院選ではなく次の次の衆院選。次の衆院選が1年以内にあるとすると、次の次の衆院選は3年後ぐらいだろう。となると、先ほど言った20年の周期に入ってくる。そこに照準を合わせて政権交代を目指していけばいいのではないか。もちろん次の衆院選後、維新も大きな壁にぶち当たる可能性もあるだろう。大きな政治的なうねりが生まれるかどうか、起こすことができるかどうか。それが今後の維新にとって最大の踏ん張りどころとなるのではないだろうか。だからこそ、その時期に向けて、いい人材を発掘し、成果に送り込む必要があると考えている。


最後に僭越ではあるが、私の政治家論を披瀝したい。今の政治家、マスコミも含めて、戦後政治史を知らなさすぎるのではないかと思う。なぜ日本は、大東亜戦争を起こし、なぜ負けたのか。バブルで日本は崩壊し、失われた30年といわれるが、なぜバブル経済は生まれ、だれの責任でこうなったのか。ほとんど総括場なく、議論も行われていない。議論をリードする政治家、オピニオンリーダーがいない。歴史を知らなければ同じことを繰り返してしまう。そんな危機感を持っている。


一方で、ニヒリズムの時代だ。なかなか満足のいく生き方をするのは難しい世の中だとも思う。私も生まれる時代を間違えたと思った頃があった。どうせ生きるなら、明治維新や大東亜戦争前に生まれ、太く、熱く燃えて散っていくのが理想だと思った。ところが、政治に関与したおかげで、国のために役に立つということを経験させていただくことができた。まさか古希をこんなにも元気で、楽しく迎えられるなんて若いころは想像もしなかった。自分のために頑張るのはたかが知れている。人生の帳尻合わせと思って、今後は周りの役に立っていきたい。


いま、多くの人がこの国の現状に閉塞感を感じている。これがあと10年、20年続いたら本当に日本はだめになる。江戸末期、国内で一致団結しなければ西欧諸国には対応できないと考え、坂本龍馬、西郷隆盛が中心となって薩長同盟を結び、明治維新につながった。大東亜戦争後は、占領期を乗り越えt4衛、田中角栄氏のような人たちが現れて、日本はV字回復を果たした。若い人の力量をどう引き出すか。群雄割拠の中から本物が生まれてくる。そういう時代を作らなければならない。そのために必要なのは何よりも人材育成だ。


政治家はある意味で狂っていなければやれない仕事だと思う。それぐらいの意志の強さが必要。そんなリーダーシップを持てる人間を育てないと、本当にこの国の未来は危ういと思う。今は狂っている政治家が少なすぎる。「本当の日本人はこうだ」という気概を持っている政治家を育てていきたい。とにかく死ぬまで、精一杯、私の思う限りにおいて、この国に役立つこと、地域社会に貢献できること、人のために少しでも役立てることをやり切って死んでいきたいな、と今、本当に思いますね。

藤川選挙戦略研究所1年の歩み
おかげさまで、藤川選挙戦略研究所を設立して1年になります。それでも4月までは統一地方選挙に追われたりして、実質的な活動な5月の連休明け以降でした。現在は、顧問先も増え、スタッフも4人となり順調な活動を展開してこられたかなと思っています。これもひとえに皆様のご指導の賜物で感謝の気持ちでいっぱいです。とはいえ内外情勢は厳しく、日本の未来は憂いに満ちていると言わなくてはなりません。政界の再編と人材の育成は急務の課題だと認識しております。いささかでもお役に立てるならばと2年目に向けて一日一生の精神で取り組んでまいりたいと存じます。
ますますのご支援とご協力をお願い申し上げます。

一般社団法人藤川選挙戦略研究所 代表理事 藤川晋之助