藤川通信 vol.1
永田町からの報告
謹賀新年、私は70回目の年末年始を経験しました。正直、6年前に心筋梗塞で倒れて以来、まさかこの年まで生きられる自身はありませんでした。孤独死覚悟で粛々と選挙をこなし、二義を流れるままに生きながらえて参りました。ですからよくここまで歩んでこられたものだと痛感しつつ令和6年を迎えることができました。
一昨年の参議院選挙の際に、弊社の金子顧問からCBDを薦められ、何気なく飲み続けていると3か月くらいで体内に漲るエネルギーを感じるようになり、信じられないほど元気になりました。それならばと、その感謝と御恩返しと、不意に与えられた延長戦の人生を、いくらかでも政治の末端でお役に立ちたいと、藤川選挙戦略研究所を設立し、活動を展開して参りました。
おかげさまで、なかなか手ごたえのある日々を歩めた1年だったと、思わぬ高揚感を覚える今日この頃なのです。しかし、私の愛してやまない祖国日本は、戦後79年目を迎えてもひゃ私以上に齢を重ね、老齢国家となりつつあります。若い時代の自己改革能力を失ってしまったのか、国際的にも衰退の一途であることは統計を見ていると明らかであり、強い閉塞感と政治への憤りを覚えるばかりで、昨今の派閥パーティー券の裏金化などは、情けない限りの権力の麻痺、奢り、論理間の喪失であり、この機会に派閥の解体を含めた自民党の再生に踏み切るべきであり、頭さえかえればまた国民の支持を得られると考えているならば言語道断である。
私も秘書や議員生活で政治資金の確保に苦慮し続けてきただけに派閥ぐるみで、透明化の努力をしてこなかった事実に愕然としています。
この国の政治に正義や爽やかさ、公正さをかくも感じられなくなった現状は、同時代に政治にかかわってきたものとして悲しくてやりきれない想いで一杯です。速やかに政治改革に各党が案を出し議論すべきであり、仕事始めの会館を歩きながら、しんと静まりかえった様は、何とも言いようのない危機感のなさだと感じました。能登半島地震に羽田の航空機事故を1日2日と経験した年の始めに、いくらかでも天の怒りを感じざるを得ない今日です。
新年より、選挙戦略通信を発信して参りたいと思っております。何かのお役に立てるならば幸甚と存じます。今年も一層のご指導ご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
70にして功なきを恥ずが私の正直な気持ちですが、孔子の70にして心の欲するままに矩をこえずの言葉がしみじみ心に染みいる年始を迎えました。
選挙の基礎講座
選挙の勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなしとよく言われますが、私もこれまでの50年余りで200回近い選挙のお手伝いを経験し実感してきた言葉です。選挙は歩いて握手をした分の得票しか出ないと先輩の秘書から叩き込まれたのが昭和の地上戦中心の時代の基本的な考え方でした。ですから私がまだ秘書歴の浅かったころは毎日、1日200軒くらいの戸別訪問をするのが当然でした。もちろんそこに候補者力があっての話ですが、個別訪問を好んでやる候補所はやはり選挙には強いと断言できる。しかしいつの頃からか空中戦が主流となり、駅前に立ってチラシを撒くか、全戸にポスティングをするか、または宣伝カーを回すかが活動の基本となる。きわめて日本的な風任せの選挙だが、めっきり個別訪問を見なくなった。それだけにまだまだかえって価値のある行為であることをはじめに申し述べておきます。
選挙は本来政策を見て投票すべきなのだが、日本の政治風土では5%くらいの有権者のみで、大半はポスターがいいとか、握手をしたとか、強力な誰かの紹介とか、利益団体からの指示など、関係性と印象によって決まって言う場合も多い。だからまずは写真には多少金を出していいもの、センスのあるものを制作することが大切です。候補者が有権者と接することは極めて稀ですから。これは選挙のイロハのイです。
何のために候補者は選挙に出馬するのか、地域や国がいかにあるべきなのか、そして得意とする分野は何なのか。この基本的な問いをしっかりと熟考すること。毎日考え続けること。それが明確になれば演説に迫力がでて、活動に自信が漲ってくる。それが有権者を引き付ける。言葉は言霊。スローガンは大切です。
70年の若干の政治的考察
明治維新が成立したのが1868年、そしてわずかの間に、日新日露、第一次大戦と戦争に勝利し、富国強兵、殖産興業が大成功して世界の5大大国にとなったのはまさに奇跡でした。しかしいつの間にか、アジア開放と称しながらも欧米列強と同じようになり、第二次大戦で日本氏は焦土と化してしまった。わずか77年の歩みで見事に成功と失敗を繰り返した。そして今度は敗戦からの復興を、西側自由陣営の経済国家として成し遂げ、まさに第2の軌跡としてオリンピック、万博を経て、ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれる発展を遂げたのだが、バブルの崩壊とともに失われた30年を経験、再び第2の敗戦に至りつつある今日までで79年。歴史は繰り返すと言わざるを得ない状況にあります。
私は昭和28年、1953年にこの世に生を受けたのだが、いみじくもテレビが初めて放映された年だった。だから私は典型的なテレビっ子、漫画っ子であり、手塚治虫に感化された鉄腕アトム世代である。いずれ小型原子力が発達して、大型の船を太平洋に浮かべて新大和帝国の独立を妄想するような少年だった。
しかし当時は高層ビル、ハイウェイ、ロボット、空飛ぶ自動車、今でいうAIの原型のようなものなど、夢のまた夢だと思っていましたが、小学生から中学生の頃に名神高速、新幹線、霞が関ビル、大型タンカー、ジェット戦闘機、宇宙ロケットなどが次々と生まれ、アポロが月に着陸してますます妄想は拡がるばかりでした。今日よりは明日、明日よりは明後日と世の中が進歩していくことを信じられた時代でした。
ところが、政治的には東西冷戦の真っただ中で60年、70年は安保闘争で左右が激突する政治の季節の時代でした。憧れの政治家として思い浮かべるのはアメリカのケネディだったが、国の在り方としてはフランスのドゴールを理想として日本もアメリカ一辺倒であることには抵抗感があった。
そして私が政治に興味を抱いたのはベトナム戦争によってであった。マルクス・レーニン主義が流行り、左翼の学生運動が全国の大学を席巻し、共産主義の脅威は大いなるものがあった。
今でこそ考えられないが、ベトナム戦争は当時の南ベトナム政府の腐敗と人心の離反によって敗北を余儀なくされた。そのことによって、アジア全体に共産主義が拡大して行くのではないかと恐れられ、西側自由主義陣営と東側社会主義陣営の攻防は熾烈なものがあった。1962年のキューバ危機に翌年のケネディ暗殺の新聞に子供ながら驚いたことを記憶している。国内では安保反対闘争のデモが日常化し、日本もいずれ共産化するのではないかと素朴に感じながら政治意識が高まっていったものだった。中学生の頃には資本主義社会から共産主義社会のどちらが正しいのかと、友人たちと熱く議論をしていたくらいで、考えてみると早熟な10代だったといえる。
(つづく)
藤川選挙戦略研究所事業内容
選挙プランニング
選挙ばかりをしてきた人生でした。これまでの戦績は143戦130勝13敗。その経験から国会議員、地方議員、首長選挙のアドバイス、お手伝いをさせていただいています。お気軽にご相談ください。
選挙調査
世論調査は選挙のコンセプトや戦略戦術を考えるうえで必要不可欠な情報です。自らの知名度や地域での支持の強弱を知ることで、活動内容が随分有効化します。
コンサルティング
政治事務所や一般企業の顧問に多数就任、コンサルティングをすることで、会社が、それ以上に社会全体の利益に繋がるようアドバイスをさせていただいております。
勉強会・研修会
国会議員政策秘書、大阪市会議員、政党事務局長の経験から独自の視点で政治を解析し、わかりやすく講演することで定評。勉強会は年に6回タイムリーな講師をお招きして開催しています。
人材育成
戦略研究所の一番の目標は後進の育成です。人を育てることこそ年寄りの責任。リーダーシップの在り方やコミュニケーションのとり方などを訓練し、何よりも有権者に信頼される候補者力を養う。
暗号資産関連技術と製品の企画、開発、製造
デジタル通貨は世界で200兆以上もの資金が動いています。当研究所では画期的なマイニングの製造販売とデータセンターの構築を薦めています。ビッグチャンスがすぐそこに。
CBDオイルの販売
いよいよ戦略研究所オリジナルCBDオイルの発売へ。藤川所長がこの一念で体感した心身に漲る力。この喜びをお届けしたいと製品開発。驚異のカンナビエナジーF。
動物愛護の活動
日本では犬が705万頭、世界では5億頭が飼育されています。しかし、まだまだ世界では犬の肉を食べている地域があり、日本でも残っています。その禁止と殺処分ゼロの活動をお手伝いしています。
一般社団法人藤川選挙戦略研究所 藤川晋之助
23歳から代議士秘書、大阪市会議員、政策担当秘書、政治アナリスト、選挙プランナー、政党事務翌朝などを歴任。現在、いくつかの国会議員事務所顧問を務める。議員や首長の政策立案、主として田中派、小沢派、第3極での選挙サポートを100回以上経験、政官、マスコミに幅広い人脈を持ち、高い勝率で選挙の神様とも呼ばれて名高い。